まず「超越論的」とは、対象の経験に先立ってその対象の経験そのものが可能となる条件に関わるような事柄のありかたを指す。もともとは中世哲学において、(アリストテレスの分類した)事物のカテゴリーの枠を超える概念(存在、一、真など)のありかたを指す言葉であったtranscendentalia(羅)を、上記の意味で使用したのはカント(Immanuel Kant 1724~1804)である。カントによれば、感覚を内容に持ち、なおかつ経験に先行する所定の形式(時間、空間、およびカテゴリー〈思考の形式〉)に沿って構成されたもの(現象)だけが、経験の対象となることができる。これに対し、この現象以外のもの(物自体)に関する理論的認識は成り立たない。このように、カントにおいては、対象の経験を成立させ、かつ理論的認識の限界をも決めているこの一連のありかたが「超越論的」と呼ばれる。一方、この限界を超えるもののありかたは「超越的」と呼ばれる。ここからまた、理論的認識の限界を捉えようとするカントの「批判哲学」は、「超越論的観念論」とも呼ばれる。
「超越的」および「超越論的」の概念は、フッサール(Edmund Husserl 1859~1938)の現象学にも意味を変えつつ受け継がれている。現象学の場合、対象がわれわれの意識を超えて外部に存在しているようなありかたが「超越的」と呼ばれ、一方、そのありかたが意識それ自身にどのように構成されるかという問題に関わるありかたが「超越論的」と呼ばれる。例えば「超越論的還元」とは、対象の超越を当たり前と思い込む日常と科学の態度をいったん宙吊りにして、その対象の構成のされかたを問うことを指す。