父(pater 羅)と子の関係にしばしば見られるような、他者の利益を名目に他者の行動に強制的に干渉しようとする考え方。父権的温情主義とも。父子関係以外にも、医師などが、患者の健康を理由に患者の治療方針を一方的に決めるような場合も例に挙げられる。
パターナリズムは、広義の自由主義の文脈では批判の対象となることが多い。例えばカント(Immanuel Kant 1724~1804)は、強制からの解放を意味する「消極的自由」を巡る文脈で、人々の幸福を名目に人々の行動に干渉するパターナリスティック(父権的)な支配は、幸福に関わる人々自身の意思決定を否定する専制であるとした。またミル(John Stuart Mill 1806~73)は、他者に危害を加えない限り個人の行動に他者が干渉してはならないとする「自己決定権」の思想を重視し、反対に、他者の利益を理由に他者の行動に干渉することは有益とは限らないし有害ですらありうるとの観点から、やはりパターナリズム的な考え方を退けた。さらにバーリン(Isaiah Berlin 1909~97)は、「消極的自由」の擁護をさらに推し進めて、特定の理念(「博愛」など)に従って自己を律し理想的な自己実現を目指すような、「積極的自由」の思想(ヘーゲル、共同体主義などに典型的)も、自己実現を理由として個人に特定の理念を強要するパターナリズムを許し、個人を意思決定する存在として認めないことにつながると批判した。
こうしたパターナリズム批判の思想は、現代の医療/生命倫理(具体的には「インフォームド・コンセント」の概念など)にも反映されているほか、福祉国家における社会保障制度への強制加入に対する批判の論拠ともされる。このように、パターナリズムを巡る議論は、自由主義との関連で、現代倫理学における重要なトピックの一つとされる。