利己主義は、心理(学)的利己主義と倫理(学)的利己主義に大別される。心理(学)的利己主義(psychological egoism)とは、一見利他的に見えるものも含め、人間のあらゆる行為は、人間の本性上、究極的には自己の利益を動機として行われる、とする立場である。この立場は、人間の振る舞いをありのままに記述していると主張し(それゆえ記述的利己主義とも言われる)、規範的な含意を持たない。これに対して倫理(学)的利己主義(ethical egoism)は、人間は自己自身の利益を目指して行為すべきであるとする、規範的な主張を行う。この立場に従えば、自己利益の追求は公共の善の実現に資するのである。
利他主義(他者(中心)主義とも呼ばれる)は、これとは反対に、人間が本性的に利他的な性質を有しているとする立場。
近代に入り、明示的に利己主義を唱えたのは、まず、自己保存を人間の本性と捉えるホッブズ(Thomas Hobbes 1588~1679)である。例えばひとが他者に贈与するのは自らの利益を考慮してのことであり、利他的な行為の背後に自己の善の追求が潜んでいると彼は言う。さらに、美徳とは仮装した悪徳に他ならないと喝破し、徳の根幹に自己愛(amour propre 仏)を見たラ・ロシュフコー(Francois de La Rochefoucauld 1613~1680)や、私益の追求が公益に繋がる(「私悪すなわち公益」)と説いたマンデヴィル(Bernard de Mandeville 1670~1733)らも、利己主義の系譜に連なる。
こうした潮流に対し、道徳感覚説を唱えたシャフツベリ(Anthony Ashley Cooper, the third Earl of Shaftesbury 1671~1713)等の影響の下、仁愛(benevolence)を自愛に匹敵する原理として強調したジョゼフ・バトラー(Joseph Butler 1692~1752)や、人間が共感(sympathy)において情念を伝達しあうと説くヒューム(David Hume 1711~1776)は、人間に利己心しか認めない学説を批判し、利他的で社会的な本性も人間には備わっていると主張した。またショーペンハウアー(Arthur Schopenhauer 1788~1860)は、いっさいの個は唯一的な意志の現象態に他ならないとする思想に基づいて、利己主義を我執として非難し、自己と他者の区別を超える同情ないし共苦(Mitleid 独)に道徳の本質を見た。