2006年7月、小泉純一郎首相(当時)の8・15靖国神社参拝が取りざたされ、また総裁選での靖国問題や後継首相の靖国参拝の賛否がトピックとなっていた最中、昭和天皇が靖国参拝を中止した理由を記した、富田朝彦元宮内庁長官のメモが公表された。そこから、東条英機を始めとし、日独伊三国同盟を推進した松岡洋右元外相と白鳥敏夫元駐イタリア大使といったA級戦犯が靖国神社に合祀されたことに強い不快感を示し、「だから私(は)あれ以来参拝していない それが私の心だ」と語っていたことが明らかになった。昭和天皇は敗戦後から1975年まで8回参拝したが、これ以降は取り止めていた。そこにはA級戦犯合祀とともに、首相が靖国参拝をすることによって靖国神社の影響力を強め、憲法の定める政教分離に違反するとする懸念も込められていたと推測できる。