仏教寺院の建物や仏像・仏具、経典などを破壊・焼却し、廃棄すること。1868年(慶応4)以降の半年余りに、明治政府は神道国教化を図って一連の神仏判然令(神仏分離令ともいう)を出し、僧形で神社に仕えることや、仏教語を神名としたり、仏像を神体としたりすることを禁じ、梵鐘や鰐口などの仏具を神社に置くことも禁止して、撤去を命じた。必ずしも仏教排撃までは意図していなかったとされるが、これまで僧侶に従属していた神官は勢いを得て、神仏分離にとどまらず激しい廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)を展開。比叡山麓の日吉山王社、岩清水八幡宮、日光東照宮などの有名な大社で、徹底した破壊・廃棄が行われた。一方神仏分離を仏教廃止ととらえた三河(愛知県)や越前(福井県)の浄土真宗門徒は、仏教を擁護するために護法一揆を起こして戦った。