アレクサンドリアの司祭で、神の子キリストは父の下位に従属するとして、キリストの人間性を重視し、キリストを神とすることを否定した、アリウス(Arius 250ころ~336ころ)の説を信奉した集団。キリストの神性を否定したアリウスの説が広く支持されたことを危惧(きぐ)したアレクサンドリアの主教アレクサンドロスは、321年アリウスを異端として破門したが、両陣営で大論争が起こり、大きな混乱をきたした。そこで325年、ニカエア(ニケーア)で第1回公会議が開かれ、アリウスの説は弾劾され、アタナシオス(Athanasios、アタナシウス Athanasiusともいう 296ころ-373)の説く父なる神と子なるキリスト、そして聖霊は同質であるとする、のちの三位一体説に基づくニカエア信条(ニケーア信条)が採択され、アリウス派は追放された。アリウスの死後も、アリウス派は勢力を保っていたが、381年のコンスタンティノープル公会議でニカエア信条(ニケーア・コンスタンティノープル信条)が確認されるに及んで、アリウス派論争に決着がつけられた。