仏道修行者が民衆の救済を誓願して、生きたまま棺桶(かんおけ)などに入って土中に埋められ、断食行を続行して息絶え、ミイラ化したものを、仏として祀(まつ)った崇拝対象。この即身仏は、空海(→「密教」)の即身成仏が模範になっている。真言宗の開祖、空海は高野山奥の院の石室の中に入り、生身のまま成仏しているとする入定信仰(にゅうじょうしんこう)から、空海にならって即身仏となる真言宗系の行者が現れた。日本人として最も早い時期のものには、高野山で修行した後、1363年(貞治2)に入寂した西生寺(さいしょうじ 新潟県寺泊町)の弘智法印(こうちほういん)の即身仏が知られている。即身仏が多く現れるのは、山形県庄内地方の出羽三山(羽黒山・月山・湯殿山)のうち、真言宗の湯殿山系で、その僧侶や行人が飢饉(ききん)や病気などに苦しむ民衆の救いを発願(ほつがん)して、土中入定をし、穀断ちなどの断食行により即身仏となってあがめられた。湯殿山系では本明寺(朝日村)の本明海上人(1683年)が最も早く、海向寺(酒田市)の忠海上人(1755年)・円明海上人(1822年)、大日坊(朝日村)の真如海上人(1783年)、注連寺(朝日村)の鉄門海上人(1829年)、そして南岳寺の鉄竜海上人(1881年)があり、いずれも現存する即身仏である。