伊勢神宮を参詣する伊勢参りのために、江戸時代には全国各地で伊勢講が組織されて盛んに行われたが、一時的に数百万人の大群衆に膨れ上がることがあり、御蔭参りと呼ばれる。大規模なものとしては、慶安3年(1650)、宝永2年(1705)、明和8年(1771)、文政13年(1830)の4回を数える。多くの場合、まず伊勢神宮などのお札が突然降ってくるという奇瑞が現れて、人々の機運を高めた。伊勢に向かう道中では、土地の人々から食物や金銭を施されて参詣できたことから、御蔭参りと呼ばれた。家や奉公先の許可を受けず、無断で参詣する女子供や奉公人も多く現れ、抜け参りとも呼ばれた。天下太平・五穀豊穣の世が始まるとされ、世直しの待望がこめられていた。また、幕府倒壊前夜の慶応3年(1867)にも、やはり伊勢神宮などのお札が降り、人々が「ええじゃないか」と唱えて、大群衆になって踊り、練り歩く騒動が勃発した。群衆は家業を投げ出し、女装・男装して踊り、資産家の家に上がり込み、酒やご馳走の供応を強要した。倒幕派が社会混乱を意図的に引き起こしたものと言われるが、物価騰貴・政情不安などの社会情勢の中で起こった民衆運動でもあった。