手話は世界共通と思われることがあるが、それは事実ではない。多くの民族はそれぞれ独特の手話をもっている。ただし、国の違うろう者どうしでは、おたがいの手話を早く学習することができる。この点は、話しことばと、大きな違いである。ところで、各国の手話のなかには、いろいろな変種がある。日本では、ろう者の使う手話と健聴者の使う手話に大別される。前者は日本手話、後者は日本語対応手話(あるいは手指日本語 Signed Japanese)と呼ばれることがある。たとえば、「止めたほうがよい」は、日本手話では「止める・よい」とするが、日本語対応手話では「止める・ほう(方法)・よい」とする。また、「得意なスポーツは何ですか」は、日本手話では「スポーツ・得意・何」とするのに対して、日本語対応手話では話すとおりに「得意・スポーツ・何」となる。ろう者の手話が健聴者のあいだで学習されると、健聴者が使いやすい手話が発生する。これは、普及は変容を呼ぶという一般原理に合った現象である。ただし、選挙演説での手話通訳者の手話や、ろう学校での健聴の先生の手話は、ろう者やろう児にわかりづらいという声はよく聞かれる。手話研究が進むなか、日本手話による自然な概念形成とその言語表現の仕組みが明らかにされつつある。このような成果をもとにした本格的な日本手話教則本が求められる。同時に、日本語対応手話も話題や状況によっては、有意義な役割をはたすことも十分に認識されなければならない。