山口県下関市の、長門国の国府がおかれた下関長府にある、和同開珎を鋳造した古代の官営造幣局。国史跡に指定されている。これに隣接する地区を下関教育委員会が発掘し、多くの鋳銭遺物と木簡(木製の板に書いた文書や荷札)が見つかった。木簡の一つには「天平二年五月四日主● ●部車万呂」の文字があり、主●は鋳銭と関係のある官職名である主典(さかん)と推定された。鋳銭司は全国の6カ所に設置したことが「続日本紀(しょくにほんぎ)」(797年完成)に記録されて、場所が推定されているが、従来、詳細には分かっていなかった。今回の発見により、西暦730年(天平2)にこの地区に長門鋳銭司があり、鋳銭を行ったことが確実となった。他の木簡も解読されたら、国の基幹政策である貨幣発行の詳細がより明確になることが期待される。