奈良市の東大寺大仏の須弥壇(しゅみだん、仏像を安置するための壇、須弥山に由来する)下から、明治時代(1907~08年)に出土した国宝・鎮壇具中の2本の金銀装大刀(金銀で装飾した大刀、長さ0.8メートル)が、元興寺文化財研究所によってX線調査が行われた。その結果、刀身の柄寄りの位置から象嵌(ぞうがん)された「陽劔」「陰劔」の文字が見つかり、長さやサメ皮による刀装などその他の諸特徴を合わせて、正倉院宝物目録「国家珍宝帳」に陽寶劔、陰寶劔と記録されている刀剣であることが明らかになった。「国家珍宝帳」は聖武天皇(在位724~749年)没後、光明皇后が遺愛品を東大寺大仏に献納して正倉院に納めた品々の目録である。この2振りの剣は100本の剣の最初に記録された最重要の剣であったが、759年に持ち出されて所在が不明になっていたものである。光明皇后(701~760年)が、死去の直前に祈願をこめて大仏の須弥壇に納めた、あるいはその死後に追悼のために納めたことが推定される。