奈良市西大寺町新田町の西大寺旧境内で発掘された資料中から、須恵器皿の底に「皇甫東●」と墨書きされた遺物が見つかったと、奈良市埋蔵文化財調査センター・奈良県立橿原考古学研究所が発表した。●は残った字画から「朝」と推定でき、「続日本紀(しょくにほんぎ)」に736年に遣唐使とともに中国から来日したと記されている皇甫東朝の関連のものと考えられる。皇甫東朝は唐楽の楽人であり、その功績により従五位下、雅楽寮員外介兼花苑司正(雅楽担当役所の次官心得え兼花園管理所長官)に任じられ、後に従五位上に昇進した。皇甫東朝は、ペルシア人の李密翳(りみつえい)、インド僧の菩提僊那(ぼだいせんな)、中国僧の道せん、ベトナム僧の仏哲らと来日し、国際都市平城京で活躍した。なお西大寺旧境内からはペルシア陶器が出土し、寺院が国際交流の場であったことを示している。