西暦3世紀の青銅鏡。鏡面の反対側に神獣の文様があり、縁を断面三角形に作ることから、このように呼ばれる。魏の年号をもつものが4面あり(景初3年:239年が1面、正始元年:240年が3面)、卑弥呼の魏への遣使(239年)や魏からの使者の派遣(240年)とかかわることが推定されてきた。日本の初期の古墳から多く発見され、出土数は400面を超えている。この鏡は、魏が製作して倭の王権に下賜したとする説と、中国で全く同じ鏡式が発見されていないことなどから日本製であるとする説とが対峙している。なお中国鏡説では、中国で発見されないことを、鏡を好む倭国のために特別に製作したものと考えることが多い。また日本製説でも、中国の鏡作り工人が原料を携えて渡来し生産したと考えることが多く、両説の違いはさほど大きなものではない。