1898年にダンチェンコとスタニスラフスキーによって創立された劇団で、リアリズム演劇を追究する様々な運動の集大成的な役割を果たし、20世紀の演劇に決定的な影響を与えた。俳優は基本的に他者に扮して演じるのであるから、リアリズムを追究するにも技術と訓練を必要とする。自身優れた俳優であったスタニスラフスキーは、様々な実践の過程を記録に残し、これを体系化することによってスタニスラフスキー・システムが構築された。演じて見せるのではなく舞台で生きるのだという基本理念を実現するための心構えから、基礎訓練、役作りの方法などが述べられている。今日でも各国の職業俳優養成において、基本的な方法として取り入れ、あるいは独自の発展を試みている所が多い。
モスクワ芸術座のもう一つの功績は、チェーホフとゴーリキーを世に送ったことである。ゴーリキーは「どん底」で社会の底辺に生きる人々の姿を描きプロレタリア演劇の先駆をなし、チェーホフの4編の長編戯曲「かもめ」「ワーニャ伯父さん」「三人姉妹」「桜の園」では、時代の変動や社会のひずみの中で、自らはそれと知らずにもがく人間たちの、時にはこっけいで愚かしいありさまが、劇全体としては微妙な情感を呼び起こし、人間に対する深い洞察と愛情を感じさせる。
日本の新劇がモスクワ芸術座の影響を強く被りながらも、西洋を追い求めるあまりに硬直化する弊が生じ、それに対するアンチテーゼとしてのアングラ演劇が反リアリズムを標榜(ひょうぼう)したものの、1990年代になると新たな小劇場演劇が徹底した日常を表現する方法を追究して「静かな演劇」と呼ばれる潮流を生んだ。それでいて、伝統芸能や宝塚歌劇、スズキメソッドなどの例を除いて、日本の俳優教育の基本といえるものが確立されたとはいえない。