歌舞伎俳優の名跡。屋号は成田屋。初代(1660~1704)は、荒事を創始して江戸歌舞伎のスタイルを確立。それをさらに様式化して「助六」「毛抜」「鳴神」などを作り上げた2代目(1688~1758)、文化・文政期から幕末まで幅広い役柄で活躍し、「勧進帳」を初演、歌舞伎十八番の選定にあたった7代目(1791~1859)、歌舞伎の近代化に貢献し、「劇聖(げきせい)」とうたわれた9代目(1838~1903)など、歴代の名優により、歌舞伎界を代表する名跡となった。戦後の歌舞伎復興の旗手として絶大な人気を博しながら夭折した11代目(1909~65)の遺児が、85年に12代目(1946~2013)を襲名。市川宗家の名にふさわしい豪快な荒事を得意とし、平成歌舞伎の担い手の一人となったが、2004年、長男の11代目市川海老蔵(1977~)襲名披露興行中に白血病で休演。その後、復帰を果たし、07年3月には、パリ・オペラ座公演を行い、高い評価を得た。12年芸術院会員。その後も病と闘いながら力強い舞台を見せていたが、新しい歌舞伎座開場を目前にした13年2月3日、66歳で死去。