1980年、大阪芸術大学舞台芸術学科の学生により旗揚げ。つかこうへい作品の上演で人気を得る。つかこうへい(1948~2010)がまだ現役の劇作家・演出家として活躍し、若者の間で圧倒的な人気を誇っている時期であった。つかの時代感覚・問題意識を必ずしも共有しない世代ながら、1960年代の小劇場運動とは一線を画した現代的感性とあくなき表現意欲に触発され、かつ今ほど閉塞的・内向的ではなかった時流に乗りながら、バブル崩壊以後も独自の路線を確立し、商業化と拡大に成功してきた稀有な劇団の例である。演出家いのうえひでのり(1960~)が、一貫してリーダーとなり、85年からは中島かずき(1959~)が座付作者として加わっている。参加の時期はそれぞれに異なるが、ここを足場とし、あるいは巣立っていった俳優は、古田新太(ふるたあらた)、橋本じゅん、橋本さとし、筧利夫(かけいとしお)、渡辺いっけい、高田聖子(たかだしょうこ)、羽野晶紀(はのあき)、粟根まこと(あわねまこと)、右近健一(うこんけんいち)、こぐれ修(おさむ)ほか多数におよび、いずれも負けず劣らぬ個性派・実力派ぞろいである。88年から東京に進出。サンシャイン劇場などでの大規模公演も成功させる。ヘビー・メタルをベースとしたロック・ミュージカルという路線がユニークであっただけでなく、アナクロニズムも恐れずに笑いを追求するコテコテの関西テーストが充満し、小劇場お決まりの異次元世界さえ、くどいまでのギャグとスピード感のあるアクションで飽きさせずに見せるサービス精神と、竹田団吾(1961~)による衣装デザインに代表されるビジュアル感覚が成功の鍵であろう。これを基盤として21世紀に入ってからは多くのスターを客演に迎えての大規模なプロデュースに転換したのも先見の明があった。吉本新喜劇とジャニーズの特長を巧みに取り入れ、独自のテーストに融合させたといってもよいだろう。