豊臣秀吉(1537-98)が、その権力を誇示するかのごとくに、贅(ぜい)をこらして京都に建てた聚楽第が描かれた6曲1双屏風が、2009年9月11日新潟県上越市で発見され公開された。聚楽第は、豊臣秀吉が現在の京都市上京区周辺に建てた私邸で、政務もなされた。1588年、後陽成天皇の「聚楽第行幸」により、秀吉の威勢を広く世に知らしめた。この屏風は、その史実に沿って描かれており、聚楽第自体、完成から8年で解体されたこともあり、なぞの多い建築物を解明する上でも第一級の史料として評価が高い。聚楽第を描いた屏風は、3例知られているが、御所に天皇を出迎える秀吉の行列と行幸がそろっているのは初めてといわれている。左隻には、秀吉の御所参内が、右隻には、聚楽第行幸が描かれている。屏風の大きさは、それぞれ高さ1.5m、幅3.6mで、制作は1598年秀吉死去後の慶長年間(1596-1615)と推測されている。史実に基づいていることと、行幸からそれほど時を経ていないことなどから、制作者は直接行幸を目撃した可能性がある。なぞの多い聚楽第に関する今後の研究成果が期待される。