1907年に、文部省美術展覧会(文展)としてスタートしたのが始まりで、当初は日本画、西洋画、彫刻の3部からなる展覧会であった。19年には、帝国美術院主催となり帝展と名前を変え、27年には美術工芸が加わり4部となった。37年には、文部省主催に戻り新文展と名称を変えた。終戦直後の46年には、文部省主催のまま、現在の名称に変更、48年に書を加えて現行の5科で構成されるようになった。58年には、時代の流れやほかの団体との兼ね合いなどもあり官展を廃止、社団法人日展が創立され、日本最大級の公募美術展である日展を開催している。2012年には制度改革に伴い、公益社団法人日展に移行。民営化されたとはいえ、官展から始まったこともあり、美術界での権威的な存在であり、審査をつとめる理事や顧問の多数を名誉機関である日本芸術院の会員が占めている。13年秋に、書の入選作に審査員の会派の作品が多いことから審査のあり方が問題視され、5科すべてで最高賞である内閣総理大臣賞と文部科学大臣賞の選考が中止されるという事態になった。今後は、公明正大な審査が求められる。