藤田嗣治(1886-1968)は、東京美術学校卒業後、1913年にフランスに渡り、モジリアー二やスーチンらとともに1920年代にエコール・ド・パリ(パリ派)の画家として活躍した。洗礼名からレオナール・フジタとも呼ばれる。その名は、乳白色の肌の裸婦の絵などで、国際的に知られることとなった。33年から日本に帰国し、第二次世界大戦中は戦争記録画を制作。戦後、この活動により批判を浴び、50年再びフランスに戻り、55年に帰化した。2013年には、藤田嗣治渡仏100年を記念して出版物が刊行され、未公開資料の公開や展覧会が開催された。藤田嗣治への関心が深まった背景には、09年、作品の著作権を所有していた君代夫人が死去したことが大きく作用している。作品や資料が次々公開されたことで、藤田の画業は乳白色の裸婦と戦争画だけではないと証明されたからだ。なかでも、秋田県立美術館が2013年9月にリニューアル・オープンした際、記念特別展で1937年完成の巨大壁画「秋田の行事」(3.65×20.5メートル)が公開されたことは影響が大きい。この作品は、吉永小百合が出演するJR東日本のCMにも登場し話題となった。