桃山時代末期から江戸時代初期に活躍した絵師の俵屋宗達(生没年不明)や書家・工芸家の本阿弥光悦(1558~1637)らが始めた、大胆な構図や装飾的な表現を特徴とする美術の系譜の総称。親戚筋に当たる宗達と光悦は多くの合作を残したが、決して美術運動や流派を起こしたわけではなかった。しかし、以後尾形光琳(1658~1716年)をはじめ約100年ごとにこの様式に傾倒、私淑する画家が次々に現れ、時代を超えて受け継がれていった。明治に入ってこの様式を指して「宗達・光琳派」「尾形流」などと呼ぶようになっていったが、やがて「光琳派」、昭和になるとさらに略して「琳派」と呼ばれるようになった。1615年に光悦が京都の洛北の鷹峯(たかがみね)に芸術村を開き、宗達らと琳派の様式を生みだし、約100年後の18世紀には光琳と、その弟で陶芸家の尾形乾山(1663~1743)が、これを継承発展させた。琳派の名前は、もちろんこの光琳に由来している。19世紀になるとさらに酒井抱一(さかいほういつ 1761~1828)がこの様式を初めて系統立ててとらえ再興し、その弟子鈴木其一(すずききいつ 1796~1858)や、其一の弟子中野其明(なかのきめい 1834~1892)を経て、明治・大正期には、神坂雪佳(かみさかせっか 1866~1942)らがこの様式をさらにモダンなものに仕立て上げていった。2015年は、鷹峯の芸術村が誕生して400年ということで琳派の記念展覧会が多数企画された。翌16年には、サントリー美術館(その後姫路市立美術館、細見美術館に巡回)で、「鈴木其一 江戸琳派の旗手」展が開催され、長らく忘れられがちであった江戸後期のこの画家の、グラフィカルで独創的な画風に再度注目が集まった。