ハイレッドセンターは、1963年に高松次郎(1936~98)、赤瀬川原平(1937~2014)、中西夏之(1935~2016)の3人が結成して出来た美術家グループ。その名前は、高松の高(ハイ)、赤瀬川の赤(レッド)、中西の中(センター)にちなんで命名された。1963年5月に「第五次ミキサー計画」の名のもとにグループ展を開催し、高松は「紐」、赤瀬川は「千円札」、中西は「洗濯バサミ」のオブジェを出品する。彼らの活動自体はパフォーマンスが中心であったため、作品があまり残っておらず、代わりに、パフォーマンスで行われたオブジェやその折の記録写真、印刷物、さらには、当時グループの行為を見ていた者たちの証言などでその活動を知ることになる。その社会の中での自分たちの芸術活動に意味を見出すことができるのか、それとも結局無意味なのかを観察・検証することが、彼らの活動の存在理由となった。64年1月の帝国ホテル(東京)を使った「シェルター計画」、同年5月の画廊を閉鎖しての「大パノラマ展」、そして銀座の街頭を清掃する「首都圏清掃整理促進運動」を行ってグループ活動は終了した。なお、63年には千円札をモチーフとした赤瀬川の作品が通貨及証券模造取締法違反に問われ、いわゆる「千円札裁判」が起きている(70年に有罪確定)。