1930年代に流行した鉄筋コンクリート造の本体に瓦屋根をのせた建築様式。ナショナリズムを鼓舞する雰囲気のなかで名古屋市庁舎(33年)、京都市立美術館(33年)、旧軍人会館(34年)、愛知県庁舎(38年)などの公共施設が登場し、モダニズムに対する反動的なデザインとされた。31年の東京国立博物館のコンペでは、日本趣味を求めることが規定でうたわれている。しかし、ドイツやイタリアと違い、ファシズムの政権との明快な関係は認められない。なお、20年に下田菊太郎(1866~1931)が帝国議会設計案を提出したとき、自らのデザインに「帝冠併合式」と名づけたことが語源だとされている。