公共性と建築家をめぐる裁判。2006年、建築家21人が群馬県の邑楽町(おうらまち)を提訴した。集団訴訟を起こしたのは、02年の庁舎の公開コンペに参加した建築家である。コンペに勝った山本理顕は、地元住民とのワークショップを繰り返し、独自のデザイン・システムを開発したうえで、実施設計の図面を作成した。しかし、町長が代わると、一方的に山本を解雇し、別の設計事務所に依頼した。山本は、設計の作業や住民参加の議論が無駄になったこと、また公的な手続きを無視したことに抗議すべく、関係者に呼びかけ、裁判に踏み切った。裁判が進行するにつれて、裁判所は建築家の社会的職能に理解を示し、和解勧告を提示。賠償金は払わないが、町が遺憾の意を表明するという内容である。山本は完全に満足がいくものではないとしつつも、コンペに参加する設計者の志を高く評価したと積極的にとらえ、09年6月に裁判は和解という形で終結した。一連の出来事は、公共施設のつくり方、そして建築家の社会的な地位をとらえ直すきっかけの一つとなった。