長崎市の沖合にある端島(はしま)の通称。1870年に石炭の採掘が開始され、1890年に三菱が島を買収して以降、日本の近代化を支える重要なエネルギー基地として稼働したが、1974年に閉山し、住民が去って放置されて以来、廃墟ファンの間で知られる存在だった。2015年に九州地方を中心に8エリア23の施設群と跡地で構成される明治日本の産業革命遺産の一つとして、端島炭坑も世界遺産登録がなされたことで脚光を浴びた。約6.3ヘクタールの小さな島内には、ピーク時には約5300人が高密度に暮らし、小中学校、病院から、プールや映画館といった娯楽施設までが隙間なく建設された。30号棟と呼ばれる1916年竣工の高層アパートは、住居としては日本最古の鉄筋コンクリート造(RC造)の建物である。65号棟(1945年から順次増築)地下1階地上10階に及ぶ317戸の巨大な建物など、30棟を超えるRC造の建物が立ち並ぶ。またほとんど空地がなかった軍艦島では、子どもの情操教育を目的として屋上緑化が行われていた。現在、建物の劣化による危険性のため、一部の展望部分にしか上陸できないが、今後いかに保存するかが課題である。