1930年代には、世界恐慌により貿易が急速に縮小する中で、各国は通貨の切り下げ競争と為替・貿易の管理による対外支払いの制限を行うことで、競争力を維持しようとした。しかし各国が同時にこれを行おうとしても、結局すべての国の貿易が縮小するだけで、問題の解決にはならなかった。この経験から、各国の為替・貿易政策について、IMF協定という一定のルールを定め、IMF(国際通貨基金)はその順守を監視するとともに、加盟国間の資金融通をする機関として設立された。
IMFは、為替レートの安定を図り競争的な切り下げを回避すること、多角的な経常取引の決済制度を作り貿易に対する為替制限を撤廃すること、加盟国が貿易制限などの手段に訴えることなく短期的な国際収支困難に対応できるように資金の融通を行うこと、などを目的としていた。このため、IMFの加盟国は自国通貨に対し、金または44年7月1日現在の米ドルの金価値(0.888671gの純金)で表示した平価(par value)を定めることとされた。実際には、アメリカのみが金に対して直接平価を定め、他の国はすべて米ドルに対して平価を定めたが、米ドルが使われたのは計算の便宜のためにすぎず、実質的には各国とも金に対して平価を設定した。加盟国は自国通貨の市場価値を、この金平価の上下1%以内に維持する義務を負った。この平価は、加盟国側が提議し、IMFと協議した上で、国際収支の「基礎的な不均衡」(fundamental disequilibrium)が存在する場合にのみ変更できた。この固定相場制(pegged exchange rate system)に基づく国際通貨制度は会議の場所にちなんでブレトンウッズ体制とよばれている。
しかし固定相場制度は、アメリカのインフレによりドルの金価値保証ができなくなったこと、各国政府が通貨の切り上げ切り下げを嫌い平価の変更が遅れがちになったこと、一方民間の国際資本移動が活発化し、平価変更を予期した投機的な資本移動が拡大したことなどから、市場介入では平価を維持することが不可能になり、73年に主要国通貨は変動相場制(floating exchange rate system)に移行した。変動相場制移行後、IMFの役割も大きく変化し、とくに78年の協定改正以後は、各国の外国為替市場への介入の監視および政策協調の協議機関としての性格が強まった。また国際金融市場の発達にともない、先進国は市場で資金調達することが可能となったため、IMFの融資制度は、主に途上国の国際収支調整に使われるようになった。