論点を明確にするために、議会制民主主義のいわば本家であるイギリスの例と対照させよう。イギリスでは、有権者はそれぞれの小選挙区で一人の候補者に1票を投じるが、有権者の関心は個々の候補者ではなく、その候補者を指名している政党にある。さらにいえば、その政党の党首を首相にすることにある。つまり制度の上では間接的にではあるが、事実上、首相は国民から直接に選ばれている。選挙は党営であり、党の綱領(マニフェスト)を掲げて戦われる。こうして選ばれた首相は、国民に対して直接に責任を問われる立場にあることを自覚せざるを得ない。国民に代わって議場でその責任を問うのは、野党の党首の役割である。野党の党首が立派にその役割を果たせば、次の総選挙では彼(ないし彼女)が次の首相に選ばれるであろう。それとは対照的に日本では、(主として)自民党の候補者はもっぱら自分で集めた資金と自分で作った後援会組織で選挙を戦う。政党に対する公的助成は、かえって現職議員の自立性を高めたようである。選挙公約はもっぱら個人としての公約で、党の公約は自分に都合が悪ければ無視される。こうして自民党議員はむしろ個人として選ばれ、党への帰属意識よりも派閥への帰属意識が強い。そして党の総裁(自民党が万年与党である限りは自動的に首相になる)は派閥間の合従連衡によって選出される。イギリスの首相は国民に対して直接責任を負う立場に立つのに対して、日本の首相と国民の関係は二重、三重に間接的である。自民党議員の多くは党政調会の部会を通じて政府各省と関係を結び、政府予算が地元と特定の財界に環流する通路を作る。こうして作られたいわゆる政財官の三角関係は首相や内閣よりも大きな政策決定能力を有している。あるいは首相、内閣の政策に抵抗し、骨抜きにする能力をもっている。議員は、「地元と中央のパイプ役」を果たすと唱え、それを支持する安定勢力を作り出すのに成功すれば、野党の存立する基盤は狭くなり、与野党間の政権交代の可能性は小さくなるであろう。現実に日本では、冷戦期と冷戦後を通じて自民党の一党優位多党制が続いた。与野党間の政権交代がなかったという点では、日本は先進資本主義諸国の中での唯一の国である。このような政治構造が今日の構造不況の根底にあることは、国民の間で次第に広く認識されるようになった。小泉純一郎首相が先の総裁公選で「自民党をぶっ壊す」「改革なくして成長なし」と唱えて、国民的支持を得た理由でもあった。