2002年初頭以後、アメリカのブッシュ政権の外交・軍事政策に急激に強い影響を及ぼすようになった政策傾向。人的にはP.ウォルフォウィッツ国防副長官、J.ボルトン国務次官、E.エイブラムズ国家安全保障会議上級部長を中心にしていた。副大統領チェイニーは最も熱心に彼らを支持し、パウエル国務長官とは鋭く対立していた。もともとネオコンは、1960年代の民主党左派のいわゆる「冷戦リベラル派」に始まっている。長老のアービング・クルストルはニューヨーク市立大学で苦学していたころにはトロツキストで熱烈な反スターリン、反ソ論者であったが、民主党の社会政策に幻滅して右傾した。ネオとよばれるのは保守に転向したという軽蔑(けいべつ)の形容詞であり、その政策内容は決して保守的ではない。第二世代のネオコンには元民主党員は少なく、逆に共和党員が多い。民主党の社会福祉政策、特にアファーマティブ・アクションに批判的であるが、その点では共和党主流の保守派と共通しており、そのため外交・軍事政策におけるネオコンの影響力が突出しているように見える。ブッシュ大統領は、アメリカへの国際的協力をとりつけることを職務としているパウエル国務長官とネオコンの間にあって、現実主義的な政策決定者として行動した。
ブッシュ政権がアフガニスタンのタリバン政権を打倒した後の次の攻撃目標を模索していたのに対して、「悪の枢軸」の三国(イラン、イラク、北朝鮮)を提案して対イラク戦争に方向転換させたのは、ネオコンからの圧力であった。ネオコンはNATO(北大西洋条約機構)や国連など従来のアメリカの国際協力のための組織が今ではアメリカの力を拘束していると考えているが、その点では大統領をはじめとするテキサス共和党と共通である。大学教授や法律家を前職にしていたネオコンは政策を知的用語で打ち出すのがうまく、保守派が長く暗黙の前提にしていたものに明確な表現を与えることで影響力を拡大してきた。ヨーロッパ各国の政府には、ネオコンをアメリカの新政策を代表するいわば悪魔的存在と見る向きもあるが、それは明らかに彼らの力の過大評価である。ブッシュにとって2004年の大統領選挙での再選が最高の目標であり、ネオコンがその障害になる可能性もあった。パレスチナ国家建設を行程表に入れた政策は、ユダヤ人が多くかつイスラエル支持のネオコンの影響力の限界を示している。(→「保守」)