大衆主義とも訳す。南北戦争後のアメリカで農民の生活擁護運動として始まった大衆運動が、1892年、ポピュリスト党を第三党として結成したのが、この語の起源とされている。同年の大統領選挙にウィーバーを候補に立て、累進所得税、銀貨鋳造、鉄道電信電話の公営、上院議員の直接選挙を掲げ、得票100万票で敗北、96年の選挙では大半が民主党に合流した。また、1860年代のロシアで農奴解放を求める学生・知識人の運動が「人民の中へ」をスローガンにして農民の啓発扇動を行ったことから、人民主義(ナロードノニチェストボ)と呼ばれた。転じて大衆の利益と感情に訴える運動と思想を指す言葉として広がった。大衆にとっての共通の敵を定め、政権を支える特権層を攻撃対象とする。他方でポピュリズムは、大衆感情に迎合し、穏健で安定した政策追求を騒乱するとして政敵を攻撃する言葉として用いられることにもなる。革命期や敗戦後の社会で既存の権力がまひし、中間層の指導力が弱化した時に生じやすい。また中南米のようにもともと中間層の弱い地域で、クーデターの政治として発現する。現代日本では、政界の混迷という状況のもと、テレビのワイドショーなどの劇場型の政治の中で、論敵をポピュリズムに走っているとして非難し、そのことによって大衆の支持を集めようとする動きとなる。