仙谷由人前官房長官は2010年11月18日、参院予算委員会で自衛隊を「暴力装置」でもあると発言。それが「左翼的」言辞であるとして野党からの抗議を受け、発言を撤回し、謝罪した。たしかに革命的左翼、例えばフランス革命におけるロベスピエールは、民主主義は「恐怖」の力の裏付けがない限り無力であるとして、国家のテロリズムを正当化した。ロシア革命におけるトロツキーが、すべての国家は「組織された暴力」であるとして、既存の国家を暴力革命によって打倒することの正統性を主張したのも有名な事例である。しかし、国家の支配に含まれている暴力的側面を指摘したのは、左翼だけではない。フランス革命期の反動の理論家ド・メイストルは、すべての支配の背後には絞首台があると語っている。他方、左翼でも右翼でもなく、また革命家でもない理論家が、支配における「力」(最終的には強制力、つまりは暴力)の要素を指摘したのも事実であった。イギリス革命期の理論家T.ホッブスは、一人一人の力を社会契約によって合成して国家権力が成立すると唱えたし、また20世紀ドイツの社会学者M.ウェーバーは、国家を暴力行使を正当に独占する共同体と定義している。一人の日本の政治家の発言が、はしなくも国家論の基本に目を向けさせるきっかけとなった。