市場による選択は時として「市場の失敗」を生む。その失敗を修正し、社会的な正義や公正を政府の財政・所得政策により実現していく「公共の選択」が必要である。しかし、公共の選択は果たして所期の目的を実現しているかをめぐって展開された議論が、公共選択論である。市場の選択には、個々人は自発的に参加し、参加者のすべての満足とパレート的な最適を結果するとされているが、政府の選択は多数決で、必ず敗者を生み、その決定は全員を拘束する。多数決は通常、AかBか二つの選択肢の賛否を問うが、三つないしそれ以上の選択肢がある場合には、民主的な集合的選択は不可能であることは、アローの法則が証明している(→「アローのパラドックス」)。アメリカのシカゴ学派は、敗者の利益集団も損失を回復するための活動を起こし、公共選択は公共の福祉をかなり実現するとしたが、他方でバージニア学派は逆に勝者の利益集団は勝者の地位を利用して、公共の資源によって既得権益の極大化を図り、市場の規制許可の傾向が一層それを補強すると指摘する。税制、保護貿易、福祉政策、経済政策など、多くの論点をめぐって「大きな政府」を攻撃する理論となった。グローバリゼーション論は、市場の論理を前にして国家は無力であるとして、一層公共選択論を強めていく。