外国は中国の王朝に貢ぎ物を送り、国家としての承認を求めるべきであるという中国の伝統的な国際秩序関係観をいう。中国人は自国を秦や漢など王朝名で呼んだが、王朝の隆替にかかわりのない総称として中華、中国、華夏なども用いた。そのような呼び方の背後には中国はおよそ知りうる範囲の世界の中心であり、文化的にはもっとも優れており、政治的にはその君主は少なくとも理論的には世界に君臨すべきであるという観念があった。君主が徳を収めて王道を敷けば、諸国は招かれずして中国を慕い朝貢してくるはずというのである。この中華思想は中華と外国(夷狄〈いてき〉)を区別し、中国との親近関係によって外国にも上下の関係を重視する。歴史的には前漢や唐のように中国が強大な時には異国と異文化に対して包容的、開放的に傾き、宋や明のように外圧に苦しめられた時には華夷の別を強く主張して、排外的、閉鎖的となる。このような中国の国際関係観は、アヘン戦争の敗北を転機に西欧との開国と通商を迫られるとともに、強い緊張にさらされることになった。
現代の中国は世界的な強国としての地位を築こうとしている。国際連合や世界貿易機関(WTO)に加入しているという意味では、対等な主権国家から成る世界秩序という西欧由来の国際関係を受容しているが、対等な国家関係がそもそも不平等条約として外から中国に押し付けられたという歴史的経緯からして、時として朝貢関係の意識が頭をもたげる。具体的には、国際社会の一員として決定に加わるよりも、二国間関係で対外関係を処理することを好む。国家間の実力の差異がより大きく利用できるからである。対日関係で「歴史認識」を強調するのもそのひとつである。過去をどう見るかを唱えることが有利に働くからである。