2005年2月22日を「竹島の日」とする条例が島根県議会に提案されたことによって、竹島問題は以後、再び日韓関係の大きな問題として浮上してきた。盧武鉉大統領自らこの問題で日本と「外交戦争」を行うと宣言していた。その後、秋には小泉首相の靖国神社参拝もあって、日韓関係は極めて冷たい関係に陥っていた。06年6月にドイツで開催された海底地形に関する国際会議で、周辺の海底地形に韓国名をつける提案を行うとの情報に接した海上保安庁は、同年4月14日、竹島周辺の(日本の排他的経済水域で)海洋調査を行うと国際水路機関に通報した。この報道がなされると韓国世論は激高し、韓国政府は「主権に対する挑発行為」と非難して、海上保安庁の測量船が調査を行えば実力行使も辞さない姿勢を示した。事態の緊迫化を避けるため、外務次官級協議が急きょ開催され、4月22日、韓国が海底地形に関する国際会議への提案を行わないのと同時に、日本側も海洋調査を中止するとの合意が成立して、日韓の衝突は回避された。ただし、韓国は7月にも日本側の中止要請にもかかわらずこの海域で海流調査を行った。これに対し、日本は同月中旬にこの海域で放射能調査を行うと韓国に通告した。これに韓国が反発したため、9月に外務次官級協議が行われ、結局、放射能調査は両国が共同で行うことに合意した。