広い意味の外交を担う組織は、外務省のみに限られるわけではなく、経済面では経済産業省や財務省も重要であり、安全保障面では防衛省も重要な役割を果たす。しかし、「外交政策の企画立案及びその実施」(外務省設置法)に責任をもつのはやはり外務省である。外務省の組織は、本省と在外公館からなり、本省は大臣官房のほか10局3部からなる。職員は約2200人。在外公館には大使館、総領事館、政府代表部などがあり、職員は合計約3300人。本省組織は、主に各地域を担当する地域局と、地域横断的な問題を扱う機能局に分けられる。湾岸戦争後、外交実施体制についての批判が高まったのにこたえるため、それまであった国際連合局を改組して総合外交政策局が設立された。また、中央省庁再編に伴い、2001年1月から外務省には、副大臣2人、大臣政務官3人が置かれ、従来のアジア局がアジア大洋州局、欧亜局が欧州局に再編され、中近東アフリカ局が中東アフリカ局と名称変更された。しかし、01年に発覚した公金横領事件、省内で大々的に行われていた裏金作り、在外公館における公金の私的使用などによって、外務省に対する国民の信頼は大きく低下し批判が集中した。01年春に河野洋平外務大臣の私的諮問機関「外務省機能改革会議」が改革案を提出し、6月に「外務省改革要項」が策定され改革が開始された。小泉内閣のもと外務大臣となった田中真紀子外相も、改革を実行すると称したが、幹部職員との対立に終始し、独自の改革を実現することはなかった。02年に入り、田中外相の後を継いだ川口順子外相は、私的諮問機関「変える会」を作り、10項目について改革案の策定を諮問した。「変える会」は、100項目以上に及ぶ提言を盛り込んだ最終報告を、7月に川口外相に提出し、外務省は、これを受けて8月に「行動計画」を作成した。以後、さまざまな改革が実施されつつある。機構面では、領事移住部を領事局に昇格させ、条約局を国際法局、国際情報局を廃止して国際情報統括官を置くなどが04年8月から実施された。06年8月1日付で外務省は、アジア大洋州局の内部に「南部アジア部」を創設した。東南アジアとインドなどの南アジアとの関係強化を狙ったもの。また、ODA改革との関連で、経済協力局と国際社会協力部のODA関連部門を統合した国際協力局も新設した。さらにODAや貧困、感染症対策などを担当する「地球規模課題審議官」も設置した。