1997年12月クアラルンプールで開催されたASEAN首脳会議と併せて初めて開催され、以後毎年開催されているASEAN諸国首脳に加え日中韓3国の首脳が集まる東アジア諸国首脳会議。もともと東アジア諸国の枠組みとしては、マレーシアのマハティール首相が提唱してきた東アジア経済協議体(EAEC)構想があったが、これは、アジア太平洋地域を二分しかねないとして日本などが慎重であったため、実現しなかった。その後、96年に発足したアジア欧州会合(ASEM)のアジア側メンバーが当時のASEAN加盟国と日中韓で、これが東アジア諸国の首脳の集まる初めての会合となった。また、97年1月の橋本龍太郎首相が提案したASEAN首脳と日本との定期協議に対し当初消極的だったASEANは、日本に加えて、韓国と中国の首脳も同時に招待し首脳会議を開催することを提案し、こうしてASEAN+日中韓首脳会議が実現することになった。98年12月にはハノイ、99年はマニラで開催され「東アジアにおける協力に関する共同声明」が採択された。2000年はシンガポール、01年はブルネイ、02年はプノンペン、03年はバリ、04年はビエンチャン、05年はクアラルンプールで開催された。06年は12月にフィリピンのセブで開催される予定であったが、台風で翌年1月に延期された。首脳会議に加えて約50の分野別会合が行われるようになり、東アジア協力の柱となっている。また、07年11月にシンガポールで開催された首脳会議では、 ASEAN+3発足10周年ということで、「東アジア協力に関する第2共同声明」が合意された。(→「東アジアサミット」)