クラスノヤルスク合意で、2000年までに日ロ間で平和条約を締結するよう全力を尽くすとした日ロ関係であったが、結局、この合意は実現しなかった。1998年秋の日ロ首脳会談で、日本側の国境線画定提案を受け入れなかったため、その後、領土問題交渉は全く停滞してしまった。2000年に入ってプーチン政権が誕生し、4月に最初の日ロ首脳会談を経て9月にプーチン大統領訪日が実現したが、やはり目立った進展はなかった。しかし、この9月の訪日に際してプーチン大統領が「56年宣言は有効である」と発言したことから、日本側に、歯舞(はぼまい)・色丹(しこたん)の先行返還を期待する考え方が生まれた。それまで、56年宣言の有効性を明示的に語らなかったロシアが、この有効性を語ったことから、ここを突破口に交渉を進めようとの考えが生まれたのである。しかし、この二島先行返還論に対しては、この方向を追求すると二島のみの返還ですべてが終わってしまいかねないとの危険が指摘された。2001年3月にイルクーツクで行われた日ロ首脳会談では、56年宣言が「基本的な法的文書」であることが確認され、「その上で」四島の帰属に関する問題を解決し、平和条約の締結を目指すとされた。その後小泉政権になって、2005年プーチン大統領の訪日があったが、特に大きな進展はない。