小泉内閣は2006年6月9日に防衛庁の省昇格を柱とする防衛庁設置法等改正案を閣議決定し、同年12月、安倍内閣で実現した。防衛庁長官が防衛大臣に昇格し、予算要求や閣議での発言権を得る一方、自衛隊の最高指揮権は引き続き首相がとる。また、自衛隊法も改正され、雑則規定になっている国連平和維持活動(PKO)や国際緊急援助、周辺事態の後方支援活動が本来任務に格上げされた。他方、成田国際空港の官製談合事件の捜査の過程で、06年1月に防衛施設庁による談合事件が発覚したことから、防衛施設庁を解体し、同庁の建設、施設など4部を防衛庁に新設される基盤整備、地方企画の2局や取得本部などに再編・吸収することにした。これを受けて、防衛省は大臣官房のほか、防衛政策局や運用企画局など5局体制になった。この省昇格に際して、内外からの強い反発はほとんどなかった。だが、07年10月に守屋武昌前事務次官が防衛専門商社から数々の接待を受けていた問題が表面化し、また、これに関連して防衛庁長官経験者の名前が出たことから、省昇格早々に防衛省は大きな混乱に陥った。(→「防衛省汚職事件」)