2003年7月のイラク特措法の成立後、イラクの治安状況の悪化や11月の衆議院総選挙などのため、日本の対応は遅れた。だが、11月末に日本人外交官2人がイラク北部のティクリートで殺害されたのち、12月9日に、政府はようやく自衛隊のイラク派遣に関する基本計画を閣議決定し、18日に内閣総理大臣がこれを承認した。基本計画によると、自衛隊の派遣目的は、医療、給水、公共施設の復旧・整備、人道復興関連物資の輸送であり、陸上自衛隊600人以内、車両200両以内、航空機8機以内、輸送艦2隻以内、護衛艦2隻以内が、派遣されることになった。活動地域は、比較的治安状態の良好なイラク南東部のサマワ周辺で、同地ではオランダ軍が治安維持に当たっている。派遣期間は03年12月15日から04年12月14日の1年間。イラク勤務は3カ月交代。自衛隊のイラク派遣に伴って、防衛庁は、派遣される自衛隊員が任務中に死亡または重度障害になった場合、支給される弔慰、見舞金の最高限度額を6000万円から9000万円に引き上げた。また、政府は04年6月18日に、主権移譲後のイラクで編成される多国籍軍への自衛隊参加を決定した。ただし、自衛隊は多国籍軍司令部との連絡・調整を行うが、その指揮下には入らず、集団的自衛権の行使には当たらない、と政府は説明している。04年12月9日、政府は自衛隊派遣をさらに1年間延長する決定を下した。イラク新政府の発足やサマワのあるムサンナ県の治安権限がイギリスからイラクに移ることなどを理由に、政府は06年6月20日に陸上自衛隊のイラク撤退を決定、7月17日に撤退を完了した。2年半で延べ5500人の陸上自衛隊が10次にわたって派遣された。航空自衛隊によるイラクでの輸送活動も08年12月12日で終了し、翌09年2月には派遣撤収業務も終了した。航空自衛隊はのべ3600人を動員し、821回にわたって4万6500人の人員と673トンの物資を輸送した。