1978年11月に福田赳夫内閣の下で策定・了承された。これにより、日米安全保障条約の下の両国が、初めて日本有事の際の共同研究に着手することになった。「ガイドライン」はしばしば「第三の安保」と呼ばれた。この背景には、ベトナム戦争後のアメリカのアジア離れへの危惧や、76年「防衛計画の大綱」による抑制的な日本の防衛政策があった。ガイドラインは、(1)侵略を未然に防止するための態勢、(2)日本に対する武力攻撃に際しての対処行動等(日本有事)、(3)日本以外の極東における事態で日本の安全に重要な影響を与える場合の日米協力(極東有事)からなる。日本の主要な関心は(2)であり、アメリカの関心は(3)であった。ガイドラインは立法、予算、行政上の措置を伴わない前提であり、特に極東有事研究は進展しなかった。冷戦終結後の安全保障環境の激変から、96年4月に、当時の橋本龍太郎首相とビル・クリントン大統領との間で「日米安全保障共同宣言」が発せられた。防衛計画の大綱も95年11月に改定されていた。そこで、97年9月にガイドラインも改定された。新ガイドラインは、(1)平素から行う協力、(2)日本有事に際しての対処行動、(3)周辺事態での協力からなる。特に(3)では40項目の日米協力が明示され、99年5月には新ガイドライン関連法も成立した。しかし、さらに中国の急速な台頭や国際テロ、日米関係の脆弱(ぜいじゃく)化への危惧などから、安倍晋三内閣は新ガイドラインのさらなる改定を検討している。(→「防衛計画の大綱改定」)