日本国憲法21条は、「言論、出版その他一切の表現の自由」を保障すると同時に、事前の内容審査をおこなう「検閲」を禁止している(1項・2項前段)。表現の自由は、しばしば「優越的地位」(preferred position)にあるとされ、その保障根拠としては、表現行為のもつ機能に着目するかたちで、思想の自由市場を形づくること(自由市場論)、個人の自己実現又は人格的自律に資すること(自己実現説)、民主的な政治過程の維持に不可欠なこと(民主的過程論)、公共財の供給に仕えること(公共財供給説)などが挙げられる。
その内容は、公道での街頭演説やビラの配布といった意見を表明する自由だけでなく、新聞・雑誌などの閲覧・輸入や報道・取材に関する自由、さらには、テレビ・ラジオなどの電波メディアによる情報提供の自由(放送の自由)をも含むと考えられている。このように表現の自由は、今日では、自由権規約(市民的及び政治的権利に関する国際規約)19条がうたうように、「あらゆる種類の情報及び考えを求め、受け及び伝える自由」として広く観念される傾向にある(世界人権宣言19条や欧州人権保護条約10条もほぼ同じ)。
しかし、およそ自由な行動には責任を伴うものであるから、「国の安全、公の秩序又は公衆の健康若しくは道徳の保護」(自由権規約19条)のために、表現活動に対して必要最小限の内容規制や事後的な制裁を加えることは、当然に認められる。いわゆる猥褻(わいせつ)文書の頒布・出版を刑法175条が禁止しているのはその代表例であるが、これについても最高裁は、性的秩序を守り、最小限度の性道徳を維持することは「公共の福祉」に当たり、憲法違反ではないとの判断を示している(チャタレー事件・1954年3月13日大法廷判決、悪徳の栄え事件・1969年10月15日大法廷判決など)。(→「事前抑制」)