2006年5月17日、在日本大韓民国民団(民団)の河丙団長と在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の徐萬述議長が、半世紀以上の反目と対立を和解と和合に転換することをうたう共同宣言に署名した。6項目からなる共同宣言は、その前文で南北首脳会談(2000年)の「南北共同宣言」で明らかにされた「わが民族同士」の理念に触れた上で、在日同胞社会の民族的団結のために互いに力を合わせて協力すること(第1項目)、「南北共同宣言」実践のため、民族的運動に積極的に合流(第2項目)、光復節記念祝典の共同開催(第3項目)、民族性の固守・発揚のための新世代教育と民族文化振興(第4項目)、高齢化・少子化対策などの福祉活動と権益擁護・拡大(第5項目)、以上の合意の履行と問題解決のための窓口設置、随時協議(第6項目)という内容をもっていた。これらの内容にみられるように、民団・総連間の和解は、韓国・北朝鮮の南北融和の動きと連動していた。また、両者の和解が執行部の判断で進められたことには地方本部からの反発もあり、6月15日の「民族統一大祝典」については、民団は敵性団体としている在日韓国民主統一連合(韓統連)幹部が日本地域委員会の議長を務めていることを問題にして参加を断念した。さらに7月5日、北朝鮮がミサイル発射(→「北朝鮮のミサイル問題」)を行うと、河丙民団団長は共同宣言の「白紙撤回」を宣言し、組織混乱の責任をとり8月に辞任した。