2006年10月、北朝鮮が行った核実験。北朝鮮は「金融制裁」に対する反発とその解除のために米朝協議を求める意図から、06年7月5日にミサイル発射を行った上(→「北朝鮮のミサイル問題」)、アメリカが米朝協議を拒絶すると、同年10月3日には核実験の実施を予告していた。国際社会の制止にもかかわらず、北朝鮮は同月9日、咸鏡北道吉州郡豊渓里で地下核実験を強行した。それ以前、6者協議は北朝鮮が「すべての核兵器と核計画を放棄する」と謳う共同声明を発表しながらも、北朝鮮の核開発を停止すらできず、その間に蓄積されたプルトニウムの一部を用いて核実験に及んだことを考えれば、結果的にいままでの6者協議は、北朝鮮の核開発に時間的猶予を与えてしまったことになる。北朝鮮がそれまでに抽出したプルトニウムの量は最大限で61キログラム(核爆弾6~11発分)と考えられ、1回の核実験で使用するプルトニウムをあえて少量に押さえ、起爆装置もそれを念頭に置いて開発していた可能性もある。しかし、核実験が部分的な成功に終わったとしても、北朝鮮が小規模とはいえ核兵器を製造しうる技術的能力をもったことが実証された。北朝鮮が弾道ミサイルの開発を並行してすすめていることを考えるとき、核の脅威とミサイルの脅威が一体化しつつあることは否定できない。また、中国に対する通告が直前であった(中国当局にそれが伝わったのは核実験の20分前であったという)ことを考えるとき、北朝鮮は中国が議長国となる6者協議よりも、米朝直接協議に活路を求めたのであろうし、すでに7月のミサイル発射で、国連安全保障理事会は、憲章第7章(制裁条項)への言及は避けたとはいえ、非難決議を採択しており、核実験を強行すれば、国連安保理が憲章第7章に言及する決議を採択することは北朝鮮も予期していたであろう。しかし、国連安保理が10月14日、核実験に対して採択した決議1718号は、憲章第7章に言及した上で、大量破壊兵器および関連技術、ならびに奢多品の禁輸を決定したものの、6者協議の再開を求める内容となった。(→「初期段階合意」)