アメリカは、北朝鮮をテロ支援国家と指定し、対敵国通商法を適用するなど、包括的な経済制裁を行ってきたが、2008年10月ブッシュ大統領がその指定を解除した。北朝鮮に対するテロ支援国家指定は、元来、1987年の大韓航空機爆破事件を契機としたものであったが、その後、日本人拉致なども考慮されるようになった。2007年3月以降、第6回6者協議は第2段階措置に入ったが、08年は申告するべき核計画の範囲およびその検証方法をめぐる駆け引きが続いた。北朝鮮としては、テロ支援国家指定解除は、北朝鮮に対する国際金融機関の支援を可能にするとともに、米朝国交正常化に向けた重要な一歩だと位置づけたが、アメリカは、これを6者協議第2段階措置において北朝鮮の非核化を進めるためのカードとして位置づけたからだ。日本政府は、テロ支援国家指定を、拉致問題に関する北朝鮮の譲歩を引き出すための重要カードとして位置づけていたために、拉致問題が進展しない状況で指定解除を行わないようにアメリカに要望したが、結局、ブッシュ政権は、北朝鮮が核施設の無能力化作業を再開し、ウラン濃縮を含めた申告を行うことを認めたということで、08年10月テロ支援国家指定の解除を決断した。しかし、申告した核計画の検証方法をめぐって、試料採取の文書への明記を主張する日米韓と、それを拒否する北朝鮮との間で合意が形成されていない。また、拉致問題の進展がないという理由で、第2段階措置における重油支援に日本は加わらない意向を示している。09年4月のミサイル発射、5月の核実験を機に、北朝鮮に対するテロ支援国家再指定を求める動きが現れたが、オバマ政権は断念した。