2008年2月に発足した李明博政権は、当初から、北朝鮮に一方的に与えるだけで結果として北朝鮮の核開発や核保有を防げなかったという理由で、金大中・盧武鉉政権の対北朝鮮和解協力政策に批判的であった。そして、その代案として「非核開放3000」構想を掲げたが、これは、北朝鮮の核放棄を条件として、北朝鮮の開放政策を韓国が促進し、その一人当たりの国民所得を10年以内に3000ドル水準にまで引き上げようとするものであった。しかし、北朝鮮はこれに対して、核問題は米朝の問題であり、韓国が北朝鮮の開放政策を云々すること自体失礼だという姿勢で、李明博政権に対する批判を強め、金剛山観光や開城観光を中断させた。対北朝鮮政策の再検討を迫られた結果、08年後半に李明博政権が打ち出したのが「相生共栄政策」であった。核放棄や相互主義を北朝鮮に求めるが、北朝鮮の核放棄前でも南北の経済協力を積極的に進める用意があるという点を明確にするものであった。ただ、北朝鮮は、「通米封南(対米関係改善を優先し、韓国との関係を後回しにする)」政策に固執したために、南北関係は停滞した。それを打開するために、李明博政権は、09年9月、北朝鮮が不可逆的な核放棄を実行する見返りに北朝鮮に安全を保証し経済支援を一括実施するという「グランド・バーゲン」構想を提案した。その後、南北首脳会談の開催をめぐる水面下の交渉が進められたが、結局、南北関係の目に見える進展はなかった。10年3月の哨戒艦「天安」艦沈没事件により南北緊張の長期化が予想される中、李明博政権は人道的次元でコメ支援を再開するとともに、他方で、同年9月、北朝鮮の非核化を条件に平和と安全を保証する「平和共同体」構築、次に包括的な南北交流と経済協力を通じて北朝鮮の経済再建を支援する「経済共同体」構築、最終的に南北間の制度の壁を崩し自由や生存の基本権を保証する「民族共同体」構築という3段階統一方式を提唱するとともに、そのために必要な費用を準備するために統一税の検討を指示することで、前政権まで忌避されてきた韓国主導の統一の可能性に言及した。