いわゆる「中台問題」は、かつて第二次世界大戦後勃発した国共内戦の延長線上の問題として理解されていた。すなわち、台湾の国民党による「大陸反攻」、大陸の共産党による「台湾解放」の主張が、米ソ冷戦の中で対立し、一時は台湾海峡で戦火を交えたが、全体としては膠着(こうちゃく)し固定化していった。蒋介石、蒋経国と続いた国民党統治時代は大陸側も台湾側も「統一」が前提であり、問題は中華民国と中華人民共和国のいずれが「中国代表」かの正統性争いであった。しかし80年代末以降、本省人の李登輝総統によって中華民国と国民党の台湾化、民主化が進められ、「中台問題」は「正統性争い」から「統独問題」に移っていった。李登輝、さらには陳水扁の政権は中華人民共和国を中国大陸の政権として正式に認め、その代わり中華民国は台湾の政権であると主張するようになった。李登輝の「二国論」、陳水扁の「一辺一国論」がその主張である。これは事実上の台湾独立につながるもので、中国政府は断固として反対し、時には軍事的威嚇も含め台湾独立の動きをけん制し、封じ込めようとしている。しかし今日、台湾アイデンティティーは一段と根を広げている。民進党の陳水扁政権は台湾が主権国家であることを明記した新憲法の制定や国連加盟を目指すといった独立傾向を強め、住民投票の実施を図った。しかし、「1つの中国」を掲げる馬英九政権の登場によって、中台関係は実質上の急接近の方向で大きく転換しつつある。08年11月には中国側の窓口機関のトップ、陳雲林海峡交流協会会長が初めて台湾を訪問し、馬英九総統らとも会談した。陳の訪台によって中台直行便が毎日運航されることとなり、その他を含めて長年懸案だった「3通」(通信、通航、通商)が実現した。09年5月、台湾の世界保健機関(WHO)へのオブザーバー参加が実現し、さらに10年には中台経済協力協定(ECFA)を締結した。中台関係は緊密度を増している。しかし民進党などは、馬政権の対中急接近に強い警戒感を抱いており、必ずしも中台関係は直線的に緊密化するとは言えない。