1983年以来、26年間続いてきたタミル分離主義勢力と政府軍の内戦は、2009年5月政府軍による武装組織「タミル・イーラム解放の虎(LTTE)」の根拠地制圧によって幕を閉じた。1976年、人口の74%を占めるシンハラ民族(主に仏教徒)による政治、文化的支配に反発する少数派のスリランカ・タミル民族(12%、主にヒンドゥー教徒)は、彼らの主要居住地域である北部と東部州をタミル独立国(イーラム国)とする要求を掲げた。そして83年のコロンボを中心とする大規模な民族暴動をきっかけに、LTTEが武装闘争を開始した。その間インド政府の介入などを挟み、2001年12月の選挙で勝利した統一国民党(UNP)政権はノルウェーの仲介を得てLTTEと停戦協定に合意した。02年9月、政府とLTTEとの直接交渉がタイで開かれ、03年3月までに6回の和平会談がもたれたが、同年4月にLTTEが政府の交渉態度が消極的であることを理由に交渉から離脱、和平交渉は膠着(こうちゃく)状況に陥った。その後、財政、司法、治安などで北・東部州を実質的に支配したLTTEは「北・東部暫定自治機構」案を発表、その承認を政府に要求した。05年11月のラジャパクサ大統領就任を境に、双方の停戦違反が急増した。06年4月には陸軍総参謀長への自爆テロも発生、双方の死者数は05年末から半年で800人にのぼった。07年2月には、LTTEは停戦合意の無効を宣言、3月には政府軍飛行場を空爆した。インドへの難民も発生し、停戦は完全に崩壊した。政府側も、08年1月に入り、02年の停戦協定の無効を公式に宣言した。政府軍は、09年1月末までにLTTEの根拠地キリノッチを含むタミル人地域をほぼ制圧したのち、同年5月に至りプラバカランLTTE議長を殺害し、組織的抵抗にとどめを刺した。内戦終結後、ラジャパクサ政権は最大時30万人の国内難民の帰還・定住や、内戦時の人権抑圧を問う国連や欧米からの批判への対応を迫られている。また13年9月に行われた北部の州評議会選挙ではタミル国民連合(TNA)が圧勝し、タミル人地域の自治をめぐって政府との交渉が続いている。