ネパールでは、2008年4月10日に実施された制憲議会選挙で、ネパール共産党毛沢東主義派(CPN-M)を筆頭とする王政廃止派が、圧倒的な勝利を収めた。5月27日に招集された制憲議会は、翌28日に連邦共和制への移行を決議し、240年にわたったシャハ王朝は幕を閉じた。その後、コイララ首相の辞任や大統領の人選をめぐってCPN-Mと七党連合(→「ネパール制憲議会選挙」)の間で意見の対立が生まれたが、最終的に7月21日の大統領選挙(議会による間接選挙)で七党連合側の推すネパール会議派(ネパーリー・コングレス)のR.ヤーダブが大統領に選出された。ついで8月15日には、CPN-Mとネパール共産党統一マルクス・レーニン主義(CPN-UML)の支持を受けたCPN-M議長プラチャンダ(本名プシュパ・カマル・ダハル)が首相に選出され、制憲議会発足から約3カ月後に、ようやく新内閣が成立した。しかし、09年に入り政府軍の欠員補充やCPN-M(同年1月にUnified[統一]CPN-Mと改称。以下UCPN-M)が指導する人民解放軍と正規軍との統合をめぐり、プラチャンダ首相は5月4日に辞任、5月25日にCPN-UMLのマダヴ・ネパール書記長がネパール会議派など22党の支持を得て組閣した。しかし制憲議会は任期(新憲法制定の期限)内の10年5月28日までに憲法を制定できず、UCPN-M、CPN-UML、ネパール会議派の合意で1年間任期が延長された。ネパール首相は同年6月末に辞任したが、後継首相選出は難航、ようやく11年2月3日になってUCPN-MとCPN-UMLの推すCPN-UML議長のJ.N.カナールが首相に選出された。またこの間、国軍と人民解放軍を管理下に置いていた国連ネパール政治ミッションの任期は11年1月で終了した。同年5月29日に制憲議会の任期がさらに3カ月延長された後、8月14日にカナール首相が辞任、同28日にUCPN-Mのバッタライ副議長が首相に就任した。制憲議会の任期は翌29日に3カ月、さらに11月29日に6カ月延長された。この間11月1日に人民解放軍兵士6500人の国軍編入が合意されたが、解放軍兵士のなかに不満を残したばかりか、編入される将校の認定資格をめぐって政府、軍との間で対立が生まれた。バッタライ政権は制憲議会の任期切れを目前に議事手続きの簡略化などで強引に憲法制定を図ろうとしたが、州編成、大統領と首相の権限など基本的な部分でも合意を達成できず、12年5月28日に制憲議会は解散された。バッタライは暫定首相として首相の座にとどまっているが、憲法上の正統性が失われた状態にあり、大統領による新首相の任命や、全党会議による事態の打開が試みられている。