1996年に制定されたキューバに対するアメリカの制裁法。正式名は「キューバ解放と民主連帯法」。アメリカによるキューバへの経済封鎖は革命直後から始まる(アメリカ政府が正式に表明したのは60年10月)。92年にはソ連解体による経済危機を利用して一挙にカストロ政権を倒すことを目指した「キューバ民主主義法」(トリチェリ法)が制定された。ヘルムズ・バートン法はトリチェリ法の効果が上がっていないとして、その内容をさらに強化したもので、キューバと経済関係をもつ第三国への制裁や、民主政府樹立のための積極的支援措置などが含められた。その後、2004年にブッシュ大統領が、アメリカ人のキューバ訪問禁止、キューバ人移民のキューバ渡航制限や送金制限、キューバ国内の反カストロ派への支援強化などから成る「新制裁措置」を打ち出している。米州開発銀行によれば移民による送金総額は約12億ドル(03年)。その多くはキューバへの渡航時に携行される。国連総会では毎年、アメリカの対キューバ制裁解除決議が採択され、近年では反対国はアメリカやイスラエルなど2~3カ国に限られている。アメリカ国内でも制裁解除を支持する市民が増え、農業生産者を中心に貿易再開を求める声も高まっている。食糧と医薬品は01年12月から現金による前払いを条件に輸出が許可された。アメリカにおけるオバマ政権の成立とともに制裁解除への期待が高まったが、同政権は09年4月にキューバ系移民による送金やキューバ訪問に関する制限を廃止したものの、同年9月には「キューバの民主化が開始されるまで制裁法を維持する」と言明するなど、ブッシュ前政権の政策とほとんど変わっていない。