2009年6月28日、中米のホンジュラスで、軍が大統領公邸に乱入し、マヌエル・セラヤ大統領を国外追放した。これを受けて、国会は直ちにロベルト・ミチェレティ国会議長を臨時大統領に任命した。クーデターに対する国際社会の反応は厳しく、国連は全会一致でセラヤ大統領の復帰を求める決議を採択、米州機構(OAS→「米州関係」)も大統領が復帰するまでホンジュラスを同機構から追放することを決定した。アメリカのオバマ大統領は、援助は停止したものの、セラヤ大統領の復帰は求めなかった。これがクーデター派の政権維持につながった。09年11月29日の大統領選挙では右派国民党のポルフィリオ・ロボが59.5%の得票で当選した(10年1月27日に就任。任期は14年まで)。セラヤ元大統領はベネズエラとコロンビアの仲介により11年5月に帰国し、ホンジュラスは米州機構に復帰した。09年クーデターの直接の原因は、セラヤ大統領が09年11月の選挙に向けて憲法改正のための国民投票の実施を決定したことにある。1982年に制定された憲法では、(1)憲法改定の権限は議会のみが有すること、(2)政府の形態、大統領の任期・再選・資格に関する憲法の条項は改定できないことが規定され、憲法改定が事実上不可能であった。セラヤはまた、2008年ごろから石油確保のためにペトロカリベとの関係を強化し、米州ボリバル同盟(ALBA)にも加盟するなど、ベネズエラなど中南米の左派政権との関係を強めていた。なお、ロボ政権下の11年1月に国会の圧倒的多数の賛成により、大統領再選を可能とする憲法改定が承認されている。