ウクライナ語で「欧州の広場」の意味。2013年11月以降発生した、欧州連合(EU)との自由貿易協定(FTA)を主眼とする「連合協定」締結に関する作業の一時中止を発表した政府に対し抗議する、継続的な大規模集会・活動の通称。中心的な集会場所が首都キエフ都心の独立広場であり、同広場を欧州への統合を目指す拠点とするという意味を込めたもの。上記閣議決定がなされた11月21日以降集会は次第に拡大し、リトアニアのビリニュスで開催されたEUと「東方パートナーシップ」諸国(EU圏に近い旧ソ連6カ国、アゼルバイジャン、アルメニア、ウクライナ、グルジア〈現・ジョージア〉、ベラルーシ、モルドバ)との首脳会合(11月28~29日)や地元キエフでの欧州安全保障協力機構(OSCE)外相会合(12月5~6日)に併せ、反政府集会が頻発。12月に最初の犠牲者が出た。14年2月、ヤヌコーヴィチ(ヤヌコビッチ)政権が集会の自由を制限する法律を採択すると、反政府勢力の過激化とともに当局による取り締まりも強化。2月18~19日の銃撃戦により100名超が死亡した。21日にヤヌコーヴィチ大統領と野党代表は、挙国一致内閣樹立、議院内閣制の再導入、年内の選挙実施を骨子とする協定を締結するも、これを不服とする集会諸勢力が大統領辞任を要求し暴動がさらに激化したため、ヤヌコーヴィチはロシアへ逃亡。22日、議会はトゥルチーノフ議長を大統領代行とし暫定政権を発足。このとき、長らく投獄されていたティモシェンコ元首相も釈放され、車椅子のまま独立広場で演説を行った。雑多な街頭集会の諸勢力が選挙で選ばれた大統領を追放するクーデターが発生したことで、ウクライナの政治変動は新たな局面に入った。(→「ティモシェンコ有罪判決」「ウクライナ危機(2014年)」)