2010年2月に欧州議会がバローゾ委員長を筆頭とする欧州委員会の委員を一括承認し、欧州連合(EU)の行政府にあたる欧州委員会の新体制がスタートした。加盟国間の政治的な利害対立は、リスボン条約の発効直後の高揚感が漂う中で決定的な局面を迎えることはなかったものの、経済・財政危機の処理をめぐる大国と中小国の対立は、28カ国(13年7月1日にクロアチアが加盟)に膨れあがったEU加盟国間の経済力格差という構造問題の奥深さを改めて浮き彫りにした。さらに、経済・財政危機の副産物ともいうべき加盟各国内での民族間対立が、反EUを政治スローガンに掲げる右翼勢力の台頭をもたらし、経済的ガバナンスと政治的ガバナンスがいつの時代にも表裏一体の関係にあることを示してみせた。とくに、「反移民」と「反イスラム」を共通項とする排外主義的機運が加盟諸国に一気に広がり、ハンガリーやオランダ、スウェーデンにおける総選挙で極右勢力が議席を大きく伸ばす勢いをみせたことは、その何よりの証左である。同時に、これまで社会問題として潜在的に意識されてきた、かつてジプシーと呼ばれ、ルーマニアなどの東欧地域から移住してきたロマ人を排除する動きが多くの国で顕在化してきたことも見逃せない。こうした排外主義的動向は、フランスのサルコジ大統領が10年7月に率先してロマ人の違法キャンプの強制撤去を命じ、8月末までに約800人のロマ人をルーマニアなどに送還する決定を下したことで加速された。12年の大統領選挙で反移民を掲げる右翼政党の国民戦線(FN)のマリーヌ・ルペン党首が第3位の得票率を獲得したのは、フランス国内の反移民感情の高まりを背景にしており、若者の失業増大と重なって現職大統領の落選をもたらす要因となった。13年に行われた地方選挙でもFNが勝利を収め、世論調査でも二大政党を超える支持率を獲得する勢いを見せた。また14年に実施された欧州議会選挙でもFNが躍進し、同時に他の加盟国でも極右勢力や反移民勢力が欧州議席を増やしたことは反移民感情がいかに根強いものかを示した。イタリアのベルルスコーニ首相(当時)が10年9月にフランスの送還決定を支持したのもその流れに沿った行動であった。「反イスラム」についても、10年3月にベルギーでブルカ着用禁止法が成立したのを皮切りに、フランス政府が6月にブルカ禁止法を閣議決定し、またスペインのカタルーニャ州など18の地方自治体がブルカ禁止条例を制定するなど、EUの全域に野火のように広まった。15年1月に起こったイスラム系過激派によるフランスの風刺週刊紙「シャルリー・エブド」襲撃事件も、こうした動きに火に油を注ぐ結果となった。欧州委員会と欧州議会が今後、移民政策についてどのような共通政策のガイドラインを導き出そうとするのか、他の地域や宗教グループの関心を高めずにはおかない。